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「成功している人はなぜ神社にいくのか?」
という本を読んでから、よく神社にいくようになりました。
でも今月は、神社に行けてないな~
そうだ、かわりに、お客さんを神社だと思うことにしよう。
これはいい考えだわ。
お客様が高級な神様が鎮座している神社という設定ね。
このお客さんの内部にはアマテラスオオミカミ級の神様が住んでいる。
そのように想像してみると、なんだかおもしろくなってきた。
当然のごとく、無条件リスペクト&うちなんぞにきてくださり感謝。
そのうえ神様の方からお賽銭をいれてくださった。
お客さんが、お帰りになり扉を閉めた後に、
深々と感謝を込めて再度、一礼するのでありました。
これいいかもね。つづけてみよう。
すべての人がねぎらいに値する
まず相手をねぎらうと決めると、
その瞬間、自分の波動が変わりだす。
モードが変わってる感じ。
多分、私の表情も変わってるんじゃないかなと思う。
人生をがんばっていない人などいない。
ニートでも登校拒否でも精いっぱい生きてる。
その魂に対して、まずは
「人生、おつかれさま がんばってるね」
とねぎらうのは当然のこと。
そう思うようにしてみた。
そう考えると、きらいな人でも
「悪役おつかれさま。がんばってるね」
というきにもなってくる(笑)
どんなひとでもねぎらいに値する。
それだけはこころにとめておきたい。
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ねぎらい道
「魂はねぎらいを求めている」
人生で最も重要なしごとはねぎらうことである。
大きなことを成し遂げる必要はない。
ねぎらってねぎらってねぎらいまくることが
生まれてきた意味であります。
と偉そうなことを書いてみましたが、
たんなる身勝手な仮説にすぎません。
「わざわざ人生をやる意味とは何なのか?」
という問いの答えとして「ねぎらうため」というのを採用することにしました。
なんだかよくわからないと思いますが、
これからのブログでは自分なりの「ねぎらい道」を紹介しながら
自分が成長していこうとするものです。
興味がある方は、どうぞ見守っていてくださいね。
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